プロフィール

プロフィール

藤橋正幸, DN, MEd, ATC, PES, PRT

経歴

  • 2017-現在 パフォーマンスインテグレーション(東京)、院長
  • 2017-現在 日本バスケットボール協会、サポートスタッフ アスレティックトレーナー
  • 2022-現在 琉球ゴールデンキングス (Bリーグ)、リハビリテーションアドバイザー
  • 2019-2020 サンロッカーズ渋谷 (Bリーグ)、スポーツリハビリテーション アドバイザー
  • 2017-2018 アースフレンズ東京Z (Bリーグ)、リハビリテーション コーディネーター
  • 2017           全日本女子3×3バスケットボール世界選手権、アスレティックトレーナー
  • 2013-2017 パフォーマンスインテグレーション(シカゴ)、院長
  • 2009-2013 イリノイ大学シカゴ校 (NCAA Division1)、アスレティック リハビリテーションスペシャリスト
  • 2003-2009 イリノイ大学シカゴ校 (NCAA Division1)、アシスタント アスレティックトレーナー
  • 2001-2003 ディポール大学 (NCAA Division1)、大学院生アスレティックトレーナー
  • 1997-2000 アイオワ大学 (NCAA Division1)、学生トレーナー

学歴

  • ナプラパシック医療大学、博士、2010年
  • ディポール大学大学院、修士、2003年
  • アイオワ大学、学士、2000年

免許、資格

  • ナプラパシー、イリノイ州
  • アスレティックトレーニング、イリノイ州
  • 全米公認アスレティックトレーナー(ATC)
  • ポスチュラル レストレーション インスティチュート(PRI)認定PRT
  • パフォーマンス エンハンスメント スペシャリスト(PES-NASM)
  • FMS レベル1
  • STRIDE足底板
  • ソール サポート足底板

受賞、アシスタントシップ

  • ナプラパシック医療大学 ナプラパシック サイエンス アカデミック エクセレンス賞、2010年
  • ナプラパシック医療大学 基礎科学 アカデミック エクセレンス賞、2010年
  • ディポール大学 アスレティックトレーニング大学院生アシスタントシップ、2001-2003年
  • アイオワ大学 アスレティックトレーニング奨学金、1998-2000年
  • JBATS/PBATS奨学金、1996年

ここまでの道のり

渡米するまで

高校卒業後、法政大学経営学部経営学科で勉強をしていました。

しかし、アメリカの大学でアスレティックトレーニング(スポーツ医学)を勉強するために大学2年生を終えた時点で中退をしました。

それは高校の頃から将来の仕事として考えていたアスレティックトレーナーになるという夢を叶えるための強い決意でした。

大学を中退した次の2年間は複数のアルバイトを掛け持ちしながら留学のための資金を貯め、同時に英語の勉強をしました。

そして遂に、1995年5月にアメリカアイオワ州へと旅立ちました。

1995 ~ 2001 アイオワ大学

アイオワ大学の卒業式
アイオワ大学アスレティックトレーニング学科の同級生

アメリカでの最初の1年間は大学で勉強していくために必要な英語の習得のために英語学校で勉強しました。

大学入学に必要な英語の試験であるTOEFLの点数が取れた後、アイオワ大学へ編入することが出来ました。

法政大学を2年次まで終えていたのでその単位が認められることになり、編入学となりました。

しかし、日本で勉強していた学問が違うことや大学入学後更にアスレティックトレーニング学科に合格してから3年間のプログラムだったので結局卒業するまで4年を要しました。

アスレティックトレーニング学科での3年間のプログラムではアスレティックトレーナーとして必要な基礎的な学問を学び、実習で基礎的な経験を積みます。

授業とは別に毎日キャンパスにあるアスレティックトレーニングルームや地域の高校で実習を積みます。

練習前の水の準備やテーピング、アスリートの怪我の評価、治療、リハビリを実習の場で学びます。

1年目は1日2時間、2年目は1日4時間、3年目は練習前から終わりまでとホームゲーム、アウェイゲームの帯同を行いました。

大学体育会に所属する全てのスポーツで実習をすることで1つのスポーツだけではなく、多くのスポーツの怪我について対応できるように訓練を積みました。

2000年にアイオワ大学(アスレティックトレーニング、学士)を卒業し、2001年に全米アスレティックトレーナー協会公認、アスレティックトレーナー(BOC-ATC)になりました。

アメリカに来た時の大きな目標であった大学を卒業し、アスレティックトレーナーになるという夢をかなえました。

日本で大学を中退して渡米したのでこの2つを達成した時は本当にホッとしました。

2001 ~ 2003 ディポール大学大学院

担当の女子サッカーチームでの仕事
試合中の怪我の対応

引き続きアメリカで勉強し、経験を積むためにイリノイ州シカゴにあるディポール大学大学院に大学院生アシスタントとして入学しました。

大学院生アシスタントとはその大学で働く代わりに大学院の授業料が免除になり、少しの給与がもらえる制度です。

僕の場合、昼間はアスレティックトレーナーとして大学で働き、夜間に大学院のクラスを取りました。

大学院生アシスタントは多くの大学が採用していて、各大学毎年数人の募集があることが一般的です。

全米からの応募があるので人気のある大学でそのポジションを取るのは狭き門です。

当時のディポール大学では合計3人の大学院生アシスタントがいて、2人採用する年と1人採用する年が交互でありました。

私の時は1人が採用される年で、幸運にも私が採用されました。

採用方法は就職活動と同じようで、まずは履歴書などによる書類選考、そこから電話による面接、そして選ばれた数人が現地での面接というのが一般的です。

私の大学院での専攻は教育リーダーシップ学体育学専攻でした。

教育リーダーシップ学とは教育機関での管理職について学ぶ学問です。

幼稚園から大学の教員で将来にそれらの教育機関で管理職になろうとしている人たちが学生のほとんどでした。

教育と社会、学校に関する法律、リーダーシップ、管理とサポート、組織の発展などを学びました。

仕事では新米アスレティックトレーナーとして働き始めました。

資格を取ったとはいえ、まだまだ分からないことだらけの新米でしたが仕事は一人で任されることばかりでした。

NCAAディビジョン1の大学ですが、当時はフルタイムのアスレティックトレーナーが2人、大学院生アシスタントが3人の計5人で250人以上の学生アスリートを持つとても忙しい職場でした。

知識も技術もまだ足りませんでしたが上司のサポートを受けながら1人で試行錯誤し、自分で意思決定することで多くのことを実践し、学んでいきました。

大学院の2年間で男子バスケットボールをはじめ、多くのスポーツを1人で担当し、新米ATCとしては素晴らしい経験を積みました。

選手の怪我の評価や治療、リハビリはもちろん、遠征にも1人で帯同し、コーチやチームドクターとのやり取りなど全て1人でやりました。

昼は仕事、夜は大学院ととても忙しい2年間でしたが、この2年間のアスレティックトレーナーとしての経験がこの先の礎になったことは間違いありません。

そして、2003年にディポール大学大学院(教育リーダーシップ学体育学専攻、修士)を卒業しました。

2003 ~ 2013 イリノイ大学シカゴ校

野球チームの選手たち
女子バスケットボールチームの選手たち

大学院を卒業する頃にはもっとアメリカで勉強し、経験を積みたいという想いがとても強くなりました。

大学院の2年間で徒手療法に出会い、それについてもっと学び、良いアスレティックトレーナーになりたかったのです。

そこで、アメリカの大学にアスレティックトレーナーとして就職するために就職活動を始めました。

アメリカの西海岸から東海岸まで多くの大学に申し込みましたが外国人である私には就労ビザの取得が必要だったため就職活動は難航しました。

就労ビザを取得するには雇用主が特別な採用過程を行い、その費用を負担しなければなりません。

アメリカ人を雇えば費用もかからず簡単に済むところを外国人を雇うためには手間と費用がかかるため敬遠されがちなのです。

最終的に就職することが決まったのは大学院と同じシカゴにある、イリノイ大学シカゴ校でした。

後に上司に何故私を雇ったか聞いたところ、「しつこかったから」というのが答えでした。

私は書類を提出した後、何度も彼にフォローアップの連絡を取っていました。

アメリカでは積極的に行動することは物事を進めるのに大切なことの1つで、私は仕事を取るために必死でした。

シカゴにある大学でしたので引っ越しをする必要もなく、生活も変わることなく楽でしたし、シカゴという街を気に入っていたのでこの大学に就職できたことはとても幸運でした。

イリノイ大学シカゴ校もNCAAディビジョン1ですが、当時はフルタイムのアスレティックトレーナーが5人のみで300人以上の学生アスリートを持つとても忙しい職場でした。

しかし、このような状況には大学院での仕事で慣れていたので問題なくスムーズに仕事に入ることができました。

この大学で働いた10年間は女子バスケットボールを中心にそれ以外のスポーツも多く担当しました。

イリノイ大学シカゴ校では臨床に関する知識や技術だけでなく、職場をどのように運営していくか、アスレティックデパートメント(体育局)がどのように機能し、アメリカの大学スポーツがどのように成り立っているかなど、学生の時には分からなかったことを学び、アスレティックトレーナーとして大きく成長した貴重な時間でした。

2005 ~ 2010 ナプラパシック医療大学専門職博士

クラスメート
先生たち

イリノイ大学シカゴ校で仕事を始めてから3年目に入る時にナプラパシック医療大学専門職博士課程に入学をしました。

大学を卒業した時から私は脊柱についての知識や技術が足りないもっと感じていました。

大学院の時に仕事をしている時から脊柱と骨盤周辺についての知識と技術を深めたいと強く感じていたのです。

ナプラパシーとは徒手療法の1つです。

ナプラパシーは、結合組織や筋肉などの病的な軟部組織が神経や血管、リンパの流れを阻害し、その結果、二次的な病理や機能障害を引き起こすという理論に基づいた、特定のマニピュレーションによる治療システムです。

ナプラパシーの理論と原理

仕事をしながらこの学校に通うことを理解してくれた上司と同僚には感謝しかありません。

仕事と学業の両立はとても大変でしたが新しく学ぶことの楽しさを感じていました。

この学校で学んだことは今まで学んできたアスリートについてのことではなく、一般の方についてのことがほとんどでした。

それは長い間慣れ親しんだものとは大きく異なることでした。

アスリートは怪我をしていたとしても基本的には健康です。

しかし、一般の方で痛みに苦しむ場合、何かの病気であり健康ではないことがあります。

学校のクリニックでインターンとして患者さんを診て、アスリートではない方を相手とした経験を積むことができたのはこの先の臨床でとても役立つことになりました。

仕事では若い大学生アスリートを診て、学校のクリニックでは一般の方を診るという2つを同じ時期に出来たことでこの2つでの違いを比べることができ、臨床での自分の視野を大きく広げることができました。

そして、仕事との両立をしながら5年間かけて2010年にナプラパシック医療大学(ナプラパシック医学、博士)を卒業しました。

2013 ~ 2017 パフォーマンスインテグレーション(シカゴ)

パフォーマンスインテグレーション、シカゴ
メジャーリーグ選手、カーティス グランダーソン選手

2013年にそれまで10年間働いてきたイリノイ大学シカゴ校を退職するという大きな決断をしました。

そして、シカゴのダウンタウンに自分のクリニックであるパフォーマンスインテグレーションを開業したのです。

これが現在のパフォーマンスインテグレーションの始まりです。

現在と同じように1人治療院です。

今まで10年という長い年月の間慣れ親しんだ職場を離れ、全く違う環境で自分1人でビジネスを始めるのは大きなチャレンジでした。

しかし、この変化とチャレンジは私にとって必要なものでした。

ここでは一人ひとりの患者さんにしっかりと時間をかけて丁寧に施術と運動療法を行うセッションを提供してきました。

一般の方や運動を趣味として行っている方、メジャーリーグやマイナーリーグでプレーするプロ野球選手など異なる多くの方のお手伝いをすることができました。

周りの多くの方のアドバイスや助けをいただき4年間シカゴでクリニックを営業しました。

2017 ~ 現在 パフォーマンスインテグレーション(東京)

世界選手権での花田選手
アースフレンズ東京Zでの講演

2017年に次のチャレンジへ移ることを決断しました。

それは日本に本帰国し、パフォーマンスインテグレーションを東京で続けることです。

気づいたらアメリカに来てから22年が経っていました。

渡米した当初の予定とは全く異なるほど長期間に渡りアメリカで過ごしました。

人生の半分、大人になってからは全ての時間を過ごしたアメリカから日本に帰ることにしました。

理由はいろいろあるのですが、1995年に渡米した時に考えていた「将来、日本のアスレティックトレーニングに貢献する」という目標を実行するためです。

帰国直後から日本バスケットボール協会のサポートアスレティックトレーナーとして全日本女子3×3バスケットボール世界選手権や他の代表合宿でアスリートのサポートをしました。

他にはBリーグのアースフレンズ東京Zやサンロッカーズ渋谷でも同じようにアスリートのサポートをしてきました。

パフォーマンスインテグレーションは東京の市ヶ谷で開院し、多くの身体を動かすのが好きな方からプロアスリートまで多くの方のお手伝いを続けています。

シカゴの時と同じように、一人ひとりのお客様にしっかりと時間をかけて丁寧に施術と運動療法を行うセッションを提供しています。

パフォーマンスインテグレーションにいらしてくださる方や他の仕事で関わる方に今まで私が学んできた知識や技術、経験を役立てて、みなさんの身体が良くなり身体を動かすことやスポーツをいつまでも楽しんでもらえるようにお手伝いしていきます。