
僕は今年でアスレティックトレーナー(ATC)になって20年になりました。この20年間で僕のアスレティックトレーナーとしての興味はいろいろと変化してきました。そして、アスレティックトレーナーとしての仕事の仕方も変わってきました。僕がどの様に変わってきたのか振り返ってみたいと思います。
学生の頃
アスレティックトレーニング学科へ入学し、授業と実習で多くのことを3年間のプログラムで学びました。アスレティックトレーナーとして必要な知識と技術、そして、どう働くかという事を学びました。僕が思い描いていたアスレティックトレーナー像そのものだったと思います。まだまだ何も分かっていない学生でしたがチームで働くことの楽しさや大変さも実習を通して分かり始めました。この先もアスレティックトレーナーとしてチームで仕事をしていきたいと思いました。
ATCになってすぐの頃
大学を卒業し、国家試験に合格し、ついにATCになりました。次の進路は大学院生アシスタントでした。
ついに、ATCとしての出発です。大学院アシスタントとして自分の担当チームに関しては全て任されていたので、
新米ATCとして1人で業務をこなすことに必死でした。まだ新米ですから分からない事だらけで、失敗もしたし、
選手からの信頼も得られなかったりもしました。まだまだ新米だから分からないことや出来ないことがあるのは当たり前なのですが、本人としては自分の出来なさ具合に自己嫌悪に陥る毎日でした。この2年が一番大変だった時期かもしれません。同時に、知識や技術が増え結果を出せるようになったり、コーチや選手とのコミュニケーションをどうすればいいか分かり始めました。チームを1人で回すことにやりがいを感じたし、遠征も楽しく感じていました。
この大学院時代に大きな出来事がありましたそれは徒手療法との出会いです。僕の上司と外部からたまに来ていた理学療法士が徒手療法についてとても長けており、こんなものがあるんだという衝撃的な出会いになりました。彼らがやっている事を見ていても何をやってるか分からなかったし、今まで見たことがないことをやっていました。僕の目の前で選手達はあっという間に良くなっていくのです。ただただ驚くばかりでした。このPTは僕のメンターになるのですが、彼から学んだ知識と技術によって、僕は一気に徒手療法への道へと進むようになったのです。それまで行っていた主に物理療法による対処療法に加え、身体全体を見て、身体の繋がりを考え、神経系へのアプローチという僕にとっては全く新しい理論で選手たちに接して行くようになりました。これがアスレティックトレーナーとしてのこの20年で一番大きな転換期でした。
ATCになって数年後
大学に就職してからは徒手療法とファンクショナルエクササイズを使った怪我の予防とリハビリで選手を診て行くようになりました。この時期から多くのセミナーに参加するようになりました。周りよりも多くのセミナーに通い、かなりお金も注ぎ込みました。勉強すればするほど人間の身体への興味が深くなるばかりでした。自分が選手へやりたいアプローチの方法が明確になってきたのもこの時期でした。そして、職場では多くの選手を診て、経験を積み、結果も出してきました。しかし、自分の知識や技術の足りなさをいつも感じていた時期でもありました。
自分の方向性が明確になってきたこの時期から自分が働きたいと思う環境も変わってきました。自分がやりたい方法でやらせてもらえる職場というのが僕にとって重要になって来ました。今でも感謝をしてますが、僕の上司は僕の好きなようにやらせてくれました。多くのセミナーに通い学んできても、もしそれをやらせてもらえない環境だったら僕にとってはいい場所ではないと考えていました。ですから、学生時代に考えていたプロチームや大きな大学で働くことへの興味は自然と薄らいでいきました。何故かというともし、そのような場所に幸運にも行けたとして上司のやり方や方針に従わなくてはならず、自分の好きなことが出来なかったら僕にはストレスになると分かってたからです。職場の名前よりも仕事の内容が僕にとっては重要でした。
就職して2年目が終わり、3年目には仕事をしながら専門職博士課程に進みました。それは自分の足りない知識を学びたかったからです。具体的にはもっと脊柱について知りたかったのです。学校の授業の他にセミナーにも引き続き多く参加していました。身体への興味は更に増していきました。この頃から自分が診る対象は選手でなくてもいいようになりました。純粋に人の身体を診て、問題を改善したくなっていたので、対象は誰でも良くなっていました。博士課程でのインターンの時に一般の人の身体を診るようになりましたが、そこで強く思ったのは、一般の人の身体と選手の身体は全く違う、ということでした。当たり前のことなのですが、スポーツ選手というのは基本的にとても健康なんです。しかし、一般の方でクリニックに来る方の中には生活するのが大変な痛みなどを抱えていて、とても病んでいる場合もありました。身体も心も病んでいる方が多かったです。ここでは選手には見ない疾患も見ました。例えば、線維筋痛症などです。また、選手と同じような問題でも治療による身体の反応の違いなども見ることができました。
ATCとし10年くらい経って
学生のころと比べ、ATCになってから自分の興味はこのように変わっていきました。それはATCになり10年くらい経っても同じで、仕事と勉強を続けながら自分の仕事での興味も変わり続けていました。これまではチームに付いて仕事をするという、いわゆるアスレティックトレーナーを楽しんできました。しかし、施術やリハビリへの興味の方が強くなっていったのです。別の言い方をすると、練習や試合に帯同し、怪我の応急処置をすることや、遠征で飛び回ることなどへの興味は以前ほど無くなってきたのです。これらの業務はアスレティックトレーナーとして重要ですし、僕も多くの経験を積んできました。しかし、コートの中での仕事よりも、アスレティックトレーニングルーム内での施術やリハビリによって身体を変化させ、怪我の予防をしたり、身体の機能を回復させることの方が自分にとって楽しくなったのです。そして、これが僕の得意なことなんだと気づいたのです。得意と言うと大変おこがましいし、まだまだ知らないこと、出来ないことも多いのですが、ある程度これが自分の中では長けていると思えるようになったのです。それからはこれをもっと自分の専門にして仕事をしていきたいと思い始めたのでした。そして、2013年に大学を退職し、シカゴのダウンタウンで自分のクリニックを開業したのでした。
ATCとしてのこれから
今年でATCになり20年が経ちました。日本に帰国して4年が経ち、シカゴでやっていたパフォーマンスインテグレーションを引き続きやっています。この20年間で僕の仕事での興味のある分野や自分の望む働く環境はいろいろと変わってきました。この先も自分の興味や仕事の仕方は変わって行くでしょう。自分が前へ進んでいくには何かしらの変化が当たり前だからです。僕はいつも自分が興味のあること、好きなこと、やりたいこと、楽しめることをやろうと考えています。僕にとって一番重要なことは自分がハッピーであるかどうかです。もちろん、そのためにはどうすればいいか、何をすればいいかを考えて、それに向けて準備をしています。もし、あなたがアスレティックトレーナーとしてのキャリアに悩んでいるとしたら、こんなふうに考えて、行動してみるのも1つの方法かもしれません。



