新型コロナウイルスの影響でアメリカでもスポーツが中止になっています。
そんな中、アメリカで “The Last Dance”というマイケル ジョーダンのドキュメンタリーが放送され始めました。
スポーツが文化の一部となっているアメリカではスポーツ無い生活というのは多くの人にとって苦しいものです。
ですから、このタイミングで始まったこの番組、それも史上最高のスポーツ選手とも言えるマイケル ジョーダンに焦点をあてたドキュメンタリーが注目されないわけがありません。アメリカではこの番組の話でかなり盛り上がっているようです。
日本でもNetflixで配信されています。
日本でもかなり多くのバスケットボール ファンが見ているようで、大分話題になってますね。
僕はNetflixの契約をしていないので残念ながら現在その番組は見ていません。
僕はアメリカにアスレティック トレーナーになるために渡米し、その後アメリカに残りアスレティック トレーナーとして仕事をしました。
具体的には1995年から2017年までの22年間をアメリカで過ごしたことになります。
その間にマイケル ジョーダンを試合で何度か見ています。
今日はその中で僕が思い出に残っている3つの試合をお話します。
1つ目は最初に生でジョーダンを見た試合、
2つ目はジョーダンが現役最後にシカゴでプレーをした試合、
そして、最後はジョーダンがお父さんとして現れた試合です。
1、ついに見たマイケル ジョーダン
最初にマイケルジョーダンを実際に見たのは僕がアメリカに渡って間もない1996年のことでした。
当時、僕は1995年5月からアイオワ大学へアスレティック トレーニングを勉強することを目的に留学をしていていました。
しかし、この時点ではまた英語学校に通っていました。
アイオワ州はシカゴがあるイリノイ州のすぐ西隣にある州で、僕が住んでいたアイオワシティーという町からシカゴは車で3時間30分ぐらいでした。
僕が法政大学に通っていた時に所属していたバスケ サークルの友達9人が卒業旅行で1996年3月にアメリカに来ました。
彼らはその旅行中にわざわざ僕を訪ねにアイオワという田舎まで来てくれました。
久しぶりに彼らと異国で会い、とても嬉しかったのをよく覚えています。
その後、彼らと一緒にシカゴに旅行に行きました。
そして、みんなでユナイテッド センターでブルズの試合を見に行ったのでした。
おそらく、この試合が彼らにとってこの旅行の1番のイベントだった思います。
だって、みんなが憧れるマイケル ジョーダンを見れたんですから。
これが僕が長い間待ち望んでいたマイケル ジョーダンを見た最初の日でした。
この日は1996年3月2日で対戦相手はボストン セルティックスでした。
この試合のボックススコアはこちら。
席はとても良く、1階の前から数列目という試合を実感できる距離でした。
この席は友達がチケットを手配していたのですが、嬉しいことに僕にプレゼントしてくれたのです。
まさかこんなに良い席だとは想像もしていませんでした。
ユナイテッド センターに入り、試合前のアップでジョーダンがプレーしているのをみんなで興奮しながら見ました。
「あれがジョーダンかぁ…。」という感じでした。
試合中も目の前でジョーダンがプレーしていたのは夢のようで、彼のプレーのひとつひとつに騒いでいたのを覚えています。
2、マイケル ジョーダン、最後のユナイテッド センター
おそらくこれが僕の中で1番鮮明に覚えていて、1番貴重な出来事だったでしょう。
それはマイケル ジョーダンが最後に引退するシーズンにワシントン ウィザーズの一員としてユナイテッド センターに来た最後の試合です。
これは2003年1月24日でした。
ボックススコアはこちら。
この時僕はシカゴにあるディポール大学大学院に通っていて、シカゴに住んでいました。
当時、ブルズはジョーダンやピペンがいたときの黄金期が終わり低迷期に入っていました。集客は以前のようではなく、試合は比較的空いていました。そのため、ブルズは数年間チケットの価格を下げていました。
特に最上階の300レベルの価格を大幅に下げ、その中でも300レベルの1番後ろの列を10ドル チケットとして販売していました。
このシーズンに何度か300レベルの席で試合を見ていましたが、僕が行く試合では300レベルに空席が目立っていて、自分の席ではない300レベルの最前列に移動して見れたくらいでした。
その当時の300レベルの最前列はおそらく40−60ドルくらいだったのではないでしょうか。
マイケル ジョーダンがユナイテッド センターでプレーする最後の試合も僕は10ドルチケットで行きました。
正直、僕はあまり深く考えずにその試合に行きました。
この日も少しでもでも前の席に行ければいいかなぐらいな気持ちで行ったのを覚えています。
しかし、この日のユナイテッドセンターは満員でした。
いつもの300レベルとは違い、席は1つも空いていなく驚きました。
そりゃそうですよね、あのジョーダンがシカゴでプレーする最後だったんですから。
そして、後は上のビデオにあるとおりでした。
最初の選手紹介でジョーダンが紹介されるとスタンディング オーベーションです。
それも、この長さです。
とにかく長く、いつまでやるんだろうって思ったのも覚えています。
そしてやっとジョーダンが話をしました。
この一連の間の雰囲気は今までに味わったこのないもので、鳥肌が立ちました。
観客の歓声は今までにないくらいうるさかったです。
僕は感動し、自然と笑顔になりました。
彼が選手としての偉大さだけでなく、この街にとって重要だったことを実際に感じることができた瞬間でした。
3、お父さんとしてのマイケル ジョーダン
この日はジョーダンを見るとは予想にもしていませんでした。
2007年のこの日、僕は高校のバスケの試合をカメラマンとしてコートサイドから写真を撮っていました。
その試合はロヨラ アカデミー高 対 ニュートリア高の試合でした。
ロヨラ アカデミーにはジョーダンの長男で4年生のジェフリーと次男で2年生のマーカスがプレーしていました。
この時、ニュートリア高には突出した選手はいませんでしたがいつも同様によくコーチングされたチームでした。
日本の方なら覚えているかもしれませんが、マット ロティック選手の出身校です。
僕はいつも通りにベースラインから写真を撮り、前半が終わりハーフタイムに入りました。
ブリーチャーの1番下に座り、前半に撮影した写真を僕は整理していました。
その時です、何だか会場がざわつき始めました。
ハーフタイムショーへの反応かと思った僕は顔も上げずに写真の整理を続けていました。
しかし、何か違うなとすぐに感じて顔を上げました。
すると、そのざわめきはジョーダンが会場に入ってきたからだということに気づきました。
予想をしない突然の出来事だったので一瞬僕は「うぉー!」と驚ました。
あのざわめきはボブ ナイトが試合直前に入場するときの会場のざわめきと同じような感じでした。(別の機会にこのことは書こうと思います。)
ジョーダンが息子たちの試合をたまに見に行くことは知っていましたが、まさかこの試合に来るとは頭の片隅にも思っていませんでした。
久しぶりに見るジョーダンの姿は選手時代とは違い、顔は以前よりも丸くなり、体も大きくなっていました。
しかしながら、その雰囲気は以前と変わらないものがありました。
後半が始まりいつも通りに試合の写真を撮り始めようとしましたが、ジョーダンのことが気になってしょうがなかったことは言うまでもありません。