アスレティックトレーナーを目指し渡米し、その後もアメリカでアスレティックトレーナーとして仕事していましたが22年間過ごしたアメリカから日本へ本帰国しました。今回は僕が本帰国した理由についてお話をします。
日本に本帰国した理由と今後の展望
去年の6月に22年間生活したアメリカを去り本帰国した。
人生の半分を過ごしたアメリカを去った理由はいくつかあるのだが、その中でも大きな理由の1つは日本に貢献したかったからである。
アイオワ大学でアスレティックトレーニング学科への入学試験の際に提出したエッセイの最後に僕が書いた事は「将来日本のアスレティックトレーニング界に貢献したい」だった。
将来日本でアスレティックトレーナーとして仕事をすることを夢見て1995年にアメリカに渡った。
アイオワ大学でアスレティックトレーニングを学び、晴れてATC(アメリカの資格を保持するアスレティックトレーナー)になった。
しかし、ATCになった事はゴールでなくスタートだと思っていた僕はもっとアメリカで勉強したい、経験を積みたいという思いが強くなり、大学院に進むことにした。
運良く、イリノイ州シカゴにあるディポール大学大学院で大学院生アシスタントというポジションをもらう事ができて2年間経験を積んだ。
大学院では今まで知らなかった事や見たことない事に出会い大学院を卒業する頃にはもっと学びたい、もっと経験を積みたいと強く思い、同じ街にあるイリノイ大学シカゴ校へアシスタント アスレティック トレーナーとして就職した。
就職して2年目が終わる頃には脊柱についての知識の必要性を感じ、仕事をしながらナプラパシック医療大学の博士課程に入学した。
大学院を卒業して以来自分の興味の向くままにいくつものセミナーや学会に参加して多くの事を学び続けてきた。
仕事をしながら入学した博士課程は5年かけて卒業した。
大学で10年間勤務したあと、次のチャレンジをすることにした。
それは自分のクリニックを開業する事だった。
大学を退職し、シカゴのダウンタウンで自分のクリニックであるパフォーマンス インテグレーションを開業した。
そのうち日本に帰国する事など忘れてとにかく自分の興味と臨床での結果を追求していた。
そんな事をしているうちに気づいたら22年も経っていたのだ。
22年経った時点でここ最近自分が学びたいと思っていた事がある程度ひと段落した。
この仕事をしている間は一生学び続けることが必要で医療界は日進月歩だから学ぶことに終わりはないのである。
常に最新の情報を入れようとしていた僕にとってアメリカにいたほうが最新の技術を学ぶ機会は多いのだが、多くの事を学び、ATCとして16年間アメリカで経験を積んだから次の新しいチャレンジに進もうと思えたのである。
次のチャレンジとは1995年に渡米した時に目標としていた「日本のアスレティック トレーニング界に貢献する事」である。
こう言うと何か大々的な感じがするかもしれないが、そんな事は無く、自分の周りにいる自分が関わっている人達に僕がこの22年かけて学んで来た事、経験してきた事を伝え、その人達の役に立つ事である。
僕が直接影響を与えられる人は自分が仕事で関わる人や僕のクリニックに来て頂けるお客様でその数は限られている。
それでも、その人達に正しい事、効果的な事を確実に伝え、それがその人達を通して他の多くの人に伝われば「日本のアスレティック トレーニング界に貢献する事」になると思う。
それが今の僕に出来る日本への貢献の第一歩。
今の自分の状況と向き合って一歩ずつ進んでいく。
それは何も知らずにアメリカに渡ってから22年間続けてやってきた事と何の変わりない事である。